完璧な英語って何?それって必要?「大切なのは、伝えたいという必死さと情熱」

「会議で話したいけど、英語の間違いを指摘されるのが嫌だ」
「私が言いたい内容が相手に伝わらなかったらどうしよう?」

皆さんは英語を使う時、こんな気持ちになったことはありませんか?

5月9日付けの朝日新聞の「留学なし」から国連で会議回すまで 発音・文法完璧でなくてもという記事を読み、まさにこの問題をついた内容だなと思いました。

記事は、自動車の国際共通のルールをつくる国連の会議体「自動車基準調和世界フォーラム(WP29)」の副議長に選ばれた国土交通省自動車局の猶野喬さんの話です。副議長に選ばれることは欧州人以外で初めてだということです。留学経験がなく赴任先のパキスタンで発音も文法も「完璧」ではないのにものすごい衝撃を受けたことがきっかけで、英語は知識よりコミュニケーションツールとして使わないとならないという学びがあったといいます。

私も仕事柄様々な国の人と接します。常々感じることは、アジアの他の国の人のほうが、コミュニケーションとして英語をうまく使っているという事です。事実2022年版「EF EPI(English Proficiency Index)英語能力指数」では、日本は111か国・地域の中で80位、英語能力が「低い(Low Proficiency)」とランク分けされた27ヵ国中でも、日本は下位3分の1のグループに位置しています。

日本人と英語コミュニケーションについて、あるマレーシア人の友人と話したことがあります。

彼から言われたことが非常に衝撃的でした。

「日本は歴史上、社会で生き残っていくために英語が必要不可欠だった局面がないでしょ?」

マレーシアやシンガポールなどのアジア諸国はイギリスの植民地となった歴史があるため、社会構造の中で上位を目指していくためには英語を話すのが必須だったということです。インドも同じことが言えるでしょう。

彼らにとって生活を良くするために、英語を使いこなせることが死活問題だったわけです。

確かにシンガポール人やインド人の英語の発音はイギリス英語ともアメリカ英語とも違いますが、それぞれヒングリッシュ、シングリッシュとして市民権を得ています。

よくよく考えてみれば、生活する場所や環境、人種によって発音が違うのは当たり前です。

イギリスでもクイーンズイングリッシュを話すのは一部ですし、アメリカでも西海岸・東海岸・南部では発音が違います。つまり、発音や文法というのはできたらできたに越したことはないが、それがコミュニケーションの壁にはなるべきではないということだと思います

文法や発音より重要なのは、コミュニケーションを成立させるのに必要なのは伝えたいという「必死さと情熱」です。

そしてその「話す内容」に習熟しているか、「話す内容がどれだけ深いか」という事です。相手とコミュニケーションをしたい、何かを伝えたいと思ったら発音や文法は二の次。まず伝えたい、声を上げること。さらに説得力を持つためには、話す内容と専門性に磨きをかけるということが大切だと思います。

自分の経験を振り返ってみても全く同じだったと思います。

チアリーダーの仲間とコミュニケーションをとらないと、チームワークは生まれません。アメリカ人がマジョリティのチアリーディングの世界で、一日も早く仲間だと認めてもらうためには、積極的に話しかけ絆を作ることが重要でした。そもそも発言しなければ、存在しないとみなされる、それがアメリカでもあります。

当時の私はアメリカ人からすると、文法もめちゃくちゃで、おそらく時々何をいっているか分からないこともあったと思いますが、とにかく自分を知ってもらうために、必死でした。そうした努力が認められ、仲間になっていったんだと思います。

1年目のルーキー時代には、自分が何者なのか伝える努力をしました。幸運なことに、プロのチアリーダーの世界ではその様な努力や一生懸命さを理解して手を差し伸べるメンバーばかりだったため、仲間との絆が深まったのだと思います。

日本に帰ってきて本当にびっくりしたのは、失敗を恐れる、あるいは恥ずかしいという気持ちが先立ってしまい、英語どころか「声をあげない」女性・子どもたちの姿でした。

まずは「声をあげることから」

そう考えて始めたのがチアリングインターナショナルです。もちろん発言しないのは、英語に限らず「余計なことは言わない」「失敗してはいけない」と教えられて育った文化背景もあるでしょう。

でも、失敗なくして成長はありません。失敗を感情に記憶させることによって、二度と間違えない、あるいはどうしたら次はより良い成果が上げられるかと考えるようになるのだと思います。

そもそも「完璧」なんてありません。完璧になるまで待っていたら、機会を逃します。だからまずは発言してみる、声を上げてみる、表現してみる、そして行動してみる。すべてはそこから始まると思います。

チアリングや「チア道」を通して表現することを学んだ子どもたちが、いつかグローバルの舞台で活躍するようになるー。

そんなことを目標に、私も頑張っていきたいと思います。