【声を上げる大切さ】露出が高い服を着ていたら痴漢をされて当たり前なのか?
「露出が高い服を着ていたら痴漢をされて当たり前なのか?」
セクハラ、性加害、盗撮ーーー。最近のニュースを見ると本当に、目を疑うようなことばかりです。
でも、これまでは声さえ上げらえなかった、あるいは声をあげても見向きもされなかった事実がどんどん公になって、昭和の時代なら冗談や「しかたない」ととらえられてきたかもしれない問題が、「決して許されない」時代になってきたことはいいことですね。
それでも、被害については、常に性加害やセクハラの被害者が「あなたにも責任があったのではないか」と責められ、セカンドレイプ的な被害を受けることが今でもあることに、私は大きな憤りを感じています。
先日、韓国の女性DJがファンからの胸をさわられるなどのセクハラを受けたとX(旧ツイッター)で明らかにしたことは皆さんの記憶に新しいと思います。この告白についてSNSやネットでは賛否両論がありました。
その中でも目を引いたのは、有名映画監督の発言です。
「DJ SODAの言っている性公開型のつつもたせなのだろう。誘惑されて仲良くしていたら、あとから怖い人が出てくるという。音楽フェスの主催者は彼女の芸に加担しないことだ」(現在この投稿は削除)
これは本当にひどい発言だと思います。痴漢にあうのは、露出の高い洋服や短いスカートをはいているから、といった批判がよくなされてきましたが、これと全く同じ類の発言だと思います。
この論理によると、人間の自制心や倫理観というものは、まったく存在しない前提になると思います。
そもそも日本は、家父長制的・男尊女卑的な日本人男性のステレオタイプが、先進国のグローバル視点から、どの様に見られているのか、そろそろ気がつかなければいけない時期ではないでしょうか?
2007年から2012年に大流行したTVドラマゴシップガールの中で放たれたセリフに凍り付いたのを今でも覚えています。
「ウーっ。やめて、日本人のサラリーマンみたいなこと言わないで」。
女子高生好き、という時の比喩として使われた表現です。
何万人が見たと言われているリアリティショーのカーダシアンのセレブのお騒がせ。
王様気取りのボーイフレンド(パートナー)に対しての陰口的な会話では…
「あんな男、別の国とかにでも住めばいいのよ」
「例えばどこ?」
「日本とか?」
「なんで?」
「だって男性なだけで、チヤホヤされる国でしょ?」
皮肉たっぷりの表現です。
今回の女性DJへのセクハラの件も、これだけ日本の電車の中で「Chikan」が世界で知られていることが恥ずかしいことだと思うべきだと思います。
もちろんセクハラがあるのは日本だけではありませんが、犯罪まがいの行為を恥ずかしげもなく、被害者にも非がある、または被害者には腹黒い魂胆がある様に思っている、と公言できてしまうこと、またこうした発言を支持する声が一定数あることも、日本がいかに遅れているかをさらけ出す結果となってしまいました。
「恥を知れ」とある女子校の昭和時代の校訓です。
この言葉をGoogle検索すると「恥を知るとは、人として恥ずべきことをわきまえることです。」と出てきます。
「わきまえる」と言われてイメージしてしまうのは、特に女性が「発言しない」あるいは「一歩下がって歩く」ということを想像させてしまうと思います。
でも、私たちは「わきまえる」ことを履き違えていないでしょうか?
本来ならば、何か意見がある時には「声をあげる」ことこそが「わきまえる(心得)」と言えるのではないでしょうか?
アメリカでフェミニズム論議をよんでいるBarbie。ストーリーは簡単に言うと、女性が首相、裁判官、医師、などを務めるという、女性中心のBarbie Landから、人間の世界に行くことになったBarbieが家父長制である現実世界を経験することで居心地が悪くなる、反対に家父長制の現実世界に心地よさを感じたKenがBarbie Landに家父長制を持ち込むというストーリーでです。
あまりにもいろいろなメッセージが詰め込まれすぎていて、日本よりフェミニズム運動が進んでいるアメリカでさえ、まだまだだという葛藤を感じました。
いい意見も、悪い意見もありますが、たくさんの人たちがこの映画を見て、時間をかけて論議をすること、社会に大きな影響を与えたのは間違いないでしょう。
日本では論議になるのでしょうか?
大半の女性が「ここは日本だから変わらない」と諦めてしまっているのは、間違った意味で「わきまえ」すぎているのではないでしょうか?
それに比べてBarbie Landでは「これでもか!」というくらい多くの女性が人間らしく発言、表現しています。
女性DJの話に戻りますが、彼女が声をあげたのは、本来の意味で「わきまえている」と言えると思います。
あの状況で声をあげない方が道理を得ていないのですから。
痴漢に会うのは、露出のあるファッションをする方に非がある?
そんなこと、ないですよね。
どこかに「ファッションは他の人(特に異性?)のため」と思ってしまっている人もいるようですが、ファッションはそもそも自己表現の一つです。
女性らしさが全面に出る服装をすることが自信に繋がる女性もいるわけで、決して、男性に痴漢されるために着ているわけではありません。
そこを勘違いして痴漢をすることは、単なる横暴です。
その横暴な態度に対して、声を上げる、きちんとわきまえていいんだということを、私たち女性は再認識すべきだと思います。