【神尾りさ世田谷区議×中山麻紀子 対談動画】日本のジェンダー・ギャップについてあらためて考える

神尾りさ世田谷区議との対談を経て
– 日本のジェンダー・ギャップについてあらためて考える –

世界経済フォーラムが2023年6月21日に発表したジェンダー・ギャップ指数( https://www3.weforum.org/docs/WEF_GGGR_2023.pdf )で日本は過去最低の125位でした。女性管理職比率が12.9%と低いことや女性の政治参加の割合が低いことなどが理由です。

確認できる数字で見ると、女性は最大のマイノリティーとも言えます。女性の参政権が認められたのが1945年、男女雇用均等法が施行されたのが1985年と、何十年もたっているのに、ジェンダー・ギャップで日本が後退を続けるのはなぜなのでしょうか?

ジェンダー・ギャップの改善は、LGBTQ+など多様性を広めていくためには不可欠だと私は考えています。

その意味で世田谷区議として「世界とつながる世田谷」を掲げる神尾りささんとの対談は私にとって非常にインスパイアリングでした。神尾さんは、グローバルな視点を持ちながら日本で女性の政治参加を体現されている政治家です。

勇気があるなと思ったのは、神尾さんが出産後、小さい息子さんを抱えながらに出馬したということ。

そして、出馬のわけには、子育て当事者としての想いがありました。

夫の転勤に伴いボスニア・ヘルツェゴビナにいた時に息子を授かったという神尾さん。息子さんが3歳になるまで海外だったということですが、意外にもボスニア・ヘルツェゴビナでの子育ては、社会や制度が日本より「温かかった」と言います。

そんな海外での経験を経て日本で子育てをするうちに神尾さんは、日本では子育て当事者の意見が反映されていないこと課題ではないかと感じたそうです。それが出馬のきっかけの一つでした。

当選には地盤看板カバンが必要だと言われる政治の世界。しかし当時神尾さんの周りには、政治経験者はいませんでした。

ゼロからのスタートの神尾さん。3回ほど出馬を断念しようと思ったそうですが、その時に支えてくれたのが、神尾さんの夫でした。諦めようと弱気になるたびに、背中を押してくれたといいます。

政治の世界では、特に女性はパートナーや家族のサポートが必要だと言われています。やはり、WeforYouならぬ、HeforSheの体現こそがジェンダー・ギャップを縮めるのには不可欠だと思いました。

「個人としてお互いを尊重し合えるから、パートナーでいられる。性別によって相手に抗しなければならないというものを相手に押し付けるのは違うという意識を共有できている感じなのではないかと思いました」(神尾さん)

先日も野党の某ベテラン議員の勉強会に参加したスタッフから、こんな辻本議員がこんな発言をしたという話を聞きました。

「男性議員は子どもが生まれると、後継ぎができて良かったねと言われるのに、女性議員に子どもが生まれると、議員活動で大丈夫ですか?大変ですね」と。

この発言が、今の日本の社会を体現していると思います。

もちろんHeForSheだけでは十分ではありません。私たちも「声を上げていく」ことを教える教育が大切です。

一方で、ジェンダー・ギャップでは、日本は125位にも関わらず、教育は1位、つまり格差が最もない国なのです。それなのにどうして社会に出たとたん、ギャップが生まれるのでしょうか?

ワシントンD.C.の現地の小学校で日本語を教えていた神尾さん。日本とアメリカの教育の大きな違いは、主体性にあるといいます。

「自分で考えてやってみる。失敗してもその結果も受け入れて次に進む。そうしたことを学校生活の中でも学んでいるです。日本では間違えることが恥ずかしいと感じがちです。自分の子ども時代を思い返すと、手を上げるののも勇気がいる。アメリカの子どもたちは、分からないことは自然に聞いてくる。一人ひとりが個性を尊重して生きているなというのを肌で感じられたのが大きかったです」(神尾さん)

それで神尾さんは、教育を受けた女性がたくさんいることに日本での「可能性」があると言います。ご自身もPTA活動をされているそうですが、「すごいお母さん」がたくさんいて、変わっていく兆しを感じているといいます。

「今現役で子育てをしている私たちがどういう生き方を選ぶのかというのが大事。100人いたら100通りの生き方があっていいということで、そこにもう少しエネルギーを費やせるような社会になるとたらいいと思います・・・(政治家を)こどものあこがれの職業にしたいと思ったのが、政治をめざすきっかけの一つだったので・・・楽しくないリーダーにはなりたくない!」(神尾さん)

私たちのCheeRing SchoolPOPRing Englishでは、まず「主体性」や「楽しむ」を大切にしています。

先日神尾さんにもお越しいただいた年に一度の発表会であるチアリングフェスタ。パフォーマンスはもちろんのこと、各国の応援チアは、子どもたちがゼロから世界各国について調べ、自分たちで応援の振り付けを考えました。

さらに、パフォーマンスメンバーの数人が毎年アメリカのパートナーチームとワシントンD.C.で行われる日米友好のイベント全米桜祭りでパフォーマンスを行います。

このイベントは、私も神尾さんとワシントンD.C.時代に関わったことのある思い出深いイベントです。子どもたちは、1912年に日米友好のしるしとして贈られた桜に関する歴史や、異文化でのコミュニケーションをこの滞在を通して学びます。

今年は、その活動が米国のFOXニュースにも取り上げられ、私とチアリングスクールの生徒2人がスタジオ出演。
そのうち一人はインタビューを受けました!

子どもたちにとって、パフォーマンスをするために1週間アメリカで過ごすことは簡単ではありません。でも、自ら主体的に決断し、動いていくことで、世界にもつながっていくー。神尾さんと同様、私もそんな活動を目指しています。

私のYouTube番組「チア道」ではゲストの皆さんに、コミットメント=約束を聞いています。

神尾さんのコミットメントは?

「政治の世界にいて、若者とか次世代の子どもたちがこの社会を担っていく人たちなので、その人たちに自分が精いっぱい頑張ることで、バトンを受け渡したいなと思っていますので、そういう世代の人とつながっていくことをコミットしたいと思います」(神尾)

今回の神尾さんが精力的に行動的に活動をされている姿をみて、私も世界だけでなく日本にも目を向けて、こうしたYouTubeでの活動を含めローカルに目を向けた行をしていきたいと思います!

まずは、日本の子どもたちに「チア道」を伝えていくことに力を尽くします!

神尾りささんの経歴・プロフィール

世田谷生まれ
家族:夫、息子(9歳)

■教育/学歴
コドモの園幼稚園(世田谷区) 卒園
聖心女子学院初・中・高等科 卒業
聖心女子大学 文学部 外国語外国文学科 卒業

■職歴
2004 米国メリーランド州小学校 日本語教師(インターンシップ)
2005-2008 ジャパン・トラベラーズ・サービス
2008-2018 日米協会ワシントンDC 教育プログラムディレクター
2018-現在 一般社団法人日本国際教育協会 専務理事
2019-現在 世田谷区議会議員
会派:「国際都市せたがや」(無所属)
委員会:都市整備委員会(副委員長 2019-2021)
オリンピック・パラリンピック等特別委員会(2019-2021)
スポーツ等特別委員会(2021-)

留学とインターンシップの違い
アメリカでどうやって就職したの?

中山:こんにちは。元NFLチアリーダーでチアリングインターナショナル代表の中山麻紀子です。チア道へようこそ。この番組では、英語教育や留学、エンパワーメント、グローバルリーダーシップや、日本を世界へ発信することをテーマに、様々なゲストをお迎えしています。第2回目のゲストは、世界とつながる活動をしている世田谷区議会議員の神尾りささんにお越しいただきました。本日は起こしいただきありがとうございます。

神尾:ありがとうございます。

中山:まずは自己紹介をお願いしたいと思います。

神尾:はい。世田谷区議会議員の神尾りさと申します。私は東京都の世田谷区に生まれ育ちまして、大学を卒業したあとにすぐにアメリカのほうに行きまして、そこから12年間ぐらい、海外で活動、仕事をしていました。その間に結婚をして、ポーランドとボスニア・ヘルツェゴビナに住んだんですけれども、2016年に日本また帰国をしまして、それからはずっと今日本におります。2019年に世田谷区議会議員に立候補しようというふうに思い立って、挑戦をして当選させていただいて、今、議員をしております。

中山:今、渡米をしてっていう話が出てきたんですけど、渡米ってなんか簡単にいけるっていうような形じゃないじゃないですか。どうやってこう、行こうってまず決めて、何をしてとかっていうのは、詳しくわかれば嬉しいです。

神尾:そうですよね。当時は私、就職氷河期と言われる世代でして、就職活動をしていたのが大学4年生ぐらいのときからで、そのときに自分がどういう仕事に就きたいかなというふうに考えたときに、いろんな可能性を探ったり、アルバイトをいろいろやってみたりとかしてたんですけども、中学高校生のくらいのときから海外に興味を持って、とくにアメリカという国にすごく興味を持って、大学でも専攻して歴史とか文学とかそういったことを勉強しまして、一度はアメリカに住みたいなという思いが強くなりました。それで就職活動する中で、アメリカでインターンシップなんですけれども、日本語教師をやるっていうプログラムに応募して、そのプログラムで1年間まずは行かせてもらえるということになったので、それがきっかけで行ったっていう感じです。

中山:なかなかそのインターンシップのプログラム自体にたどり着くまでにプロセスがあったと思うんですけど、どういうプロセスだったんですか。

神尾:そうですよね。もうありとあらゆる可能性というか、情報をそのときは得ようと思ってましたけど、今みたいにインターネットが、まああったと思いますけど、そんなに普及してなかったので、私はちょっとうっすらの記憶ですけども、新聞記事にインターンの記事があったんじゃないかなっていうふうに覚えてるんですけども、ほかにも留学とかの手段もあると思うので、その留学との違いっていうのが、留学はどちらかというと情報とか勉強を受け身でするっていう感じで、インターンシップは自分が先生になって発信する。日本語とか日本文化のことを子どもたちに伝えるっていうことで、アウトプットですね。インプットよりもアウトプットのほうに力を入れてますっていうことがあって、それやってみたいなっていうふうに強く思ったっていう。

中山:そのインターンシップっていうのは教育だったんですね。

神尾:そうなんです。

中山:具体的にどういう教育を、アメリカのワシントンD.C.ですよね。

神尾:ワシントンD.C.の隣にあるメリーランド州っていうところ。それもアメリカっていう国は選べるんですけども、どこの州にいくかは全くわからないんです。相手方との交渉もあるので、こういう日本人の女の子が来るよっていうことを受け入れてくれる学校探しからまずしてくださって、そのマッチングで3カ所目だったと思うんですけど、メリーランド州のそのとある小学校に派遣されるっていうことが決まって、ホームステイなんですね。なので、そのホームステイの受け入れもその指定、探していただかなきゃいけなくて、たまたま私は自分が勤めることになった小学校の校長先生の家に住ませてもらうことになって。

中山:アメリカ人のホームの方が?

神尾:アメリカ人の方だったんですけど、すごくそれが本当に私の人生を変える1年間だったなって。

日本とアメリカの教育の違い

中山:違いってどういうのが、どういう違いが一番大きかったですか。

神尾:違いは、一言でいうと主体的だと思います。アメリカのほうが。日本はまだまだ今ちょっと教育が変わってきてると思いますけども、どちらかというと教えられたことを忠実にやるっていうような教育を日本はしてきていて、それに対してアメリカとか海外の教育は、自分で考えてやってみるっていうこととか、その結果も自分がやったことだから受け入れて次に進むみたいなことを、学校生活の中でも学んでいけるような場になってるなっていうのは、すごく感じました。

中山:なるほど。間違えちゃいけない。間違えないようにっていうようなイメージが日本の教育ってあるような気がするんですけど、アメリカの教育は間違えてもそれは自分の責任として次に進みましょうっていう、そういう形なんですね。

神尾:そうですね。なんかその間違えることが恥ずかしいっていうのが、どうしても私も自分の子ども自体を思い返すと、手挙げるのもすごい勇気がいる感じだったんですけども、もう本当にアメリカの子どもたちがわからないことはもう手も挙げないでといいますか、どんどん自然に聞いてくるっていう、そこのキャッチボールみたいなものが先生との間でもできてるし、一人の人間として対等であるんだな。子ども、大人ってことは関係なく、一人一人が個性っていうものを尊重して生きてるなっていうのを肌で感じられたっていうのはすごく大きかったですね。

中山:なるほど。重要な、そうですね。ちょっと先ほど聞きかけて辞めちゃったんですけど、実際にはどういう教育をされてたんですか。例えば英語を教えていたとかタイ語を教えていたとか。

神尾:日本語と日本文化なんです。私の場合は小学校で日本語っていうふうに思われるかもしれないんですけども、ちょっと特殊なギフテッドと呼ばれる教育を公立の小学校でやっているっていう学校だったので、2年生から外国語を勉強するっていうカリキュラムになっていて、その中のスペイン語とかフランス語とかいろんな言語を学ぶ中の一つに、1学期だけ日本語を学ぶっていうようなカリキュラムで、そこで日本語を教えたりとか、でも小学生なので数字とかわりと簡単なところから入っていって、どちらかというと日本文化のほうに重きを置いて、日本の例えば習慣だったりとか行事とかが、やっぱりアメリカのものとは全然違うので、例えばひな祭りとかこどもの日とかそういったことも、その子どもたちになるべく親近感があるようなことを中心に教えたりしてました。

中山:そのときの生徒さんは素晴らしい経験をされたんでしょうね。文化を学ぶって。

神尾:そうですね。なんかだから今でもつながっているそのときの生徒さんがいらっしゃるぐらい、多分彼らにとっては日本なんて全然知らない国だったと思いますし、その自分が住んでるアメリカっていう国とは全く違う文化を持った国の人が目の前にいるっていうことが、自負になりますけど、彼らにとってもいい経験になったんじゃないかなっていうふうに思っていて。

中山:いや、それは間違いないと思います。

神尾:だからお互いにすごく学び合えたっていうのが、私にとっても大きな財産だったなっていうふうに思います。

世田谷区議会議員になった理由

中山:帰国をされて結婚されてご出産されて区議会議員に挑戦をされたってことですけど、そこも勇気がありますよね。しかも出産後にとか。なんか強い思いがない限り、そこにはいかないようなイメージがあるんですけど。

神尾:そうですね。政治の世界って私も全然わからなかったですし、周りの人たちも全然そういったことに関係ない環境にいたので、まずどうやってなるんだろうっていう感じなんですけど、その前になんでなりたかったかっていうと。

中山:うん。そこがないと進まないところだと思うんです。

神尾:そうですよね。海外にいたときに息子を授かって、息子が3歳になるまで海外。そのときは主人がボスニア・ヘルツェゴビナという国に転勤だったので、そこで息子を育ててました。その間、アメリカでの仕事もしてた、私が…。

中山:すいません。いいですか。ボスニア・ヘルツェゴビナ、私も実は行ったことありまして、そこで生活をされてたってことですか。なんかそこの想像がつかないくらい、内戦のあとが残っている国だってイメージがあったんですけど、その中で生活されてたんですね。

神尾:そうなんです。すごく見た目はそういうあとが、戦争のあととかありましたし、その宗教の違いとか政治のこととか、いろんな課題はある国ではあるんですけども、一方で日常生活はものすごくのどかでやさしいんですね、国民性が。だから日本人で全然違う人種の私たちにも本当によく接してくださって、そういう中で子育てができた。子育て環境も多分日本よりもしやすかったなっていうふうに思っていて。

中山:えーっ。

神尾:温かいな。一言ですけど、本当に。

中山:温かかったのはコミュニティですか。自治体なのか、それともお友だちとか人なのか。両方?

神尾:まあまあ、両方。…それに見合った制度、足りない部分は、制度のほうを補っていきましょうよっていうのは、やっぱり本来あるべき姿だと思うんですね。そこを変えるのにどうしたらいいんだろうって思ったときに、今の政治の社会ではなかなかその子育て当事者の意見が反映されてないなと思って。ってなったら、私見てみたいっていうふうに、好奇心もあると思うんですけど、思ってしまって、今から思うと無謀な挑戦だったなと思うんですけども、ちょっとじゃあ立候補してみようかなっていうふうに思った。

中山:でも好奇心とかしてみようかなっていう気持ちじゃなくて、やっぱりそこには情熱があったから今があるんだっていうふうに私は思うんですけど、その変えていこうとか見てみたいっていうよりも、なんかこう、変える。もっとお母さんたちが過ごしやすい環境を作るとか、そういうこと思われてたんじゃないかなって思うんですけど。

区議会議員のライフスタイル
「パートナーのサポート」

中山:実際、区議会議員ってどういう感じの生活をされるんですか。

神尾:そうですよね。

中山:国会議員とかだとよくテレビでお見かけをするんですけど、区議会議員ってどういう感じのライフスタイル?

神尾:国会議員みたいな感じの議会っていうものが年に4回、4期間っていうんですかね。4フェーズあるので、その間は議会に行って自分の政策だとか、あと予算を通したり決算を通したりっていうことを、あとチェック機能だとか、そういったことが主な仕事なので、その区議会に行く日っていうのと、あと普段の生活では、やっぱり今の区政に足りないものだとか、こうしたらいいんじゃないかっていうものを、よりその当事者の目線で伝えて変えていくっていうことになるので、そのために本当にいろんな方にお会いする仕事なので、そこが私はすごく好きなところで、いろんな方に出会うチャンスをいただいてるなっていうふうに思います。

中山:そういういろんな方に出会う機会があるっていうことになると、例えば朝から晩までっていうようなスケジュールにもなるわけじゃないですか。お子様もいらっしゃってっていう。そこはどうやってこなしている感じなんですかね。

神尾:本当にだから時間のやりくりがやっぱり子育てしながら仕事もしてっていうことで一番大変になるんじゃないかなと思いますけれども、自分の中でのバランスっていうものをすごく大事にするようになったなと思っていて、やっぱり家事をする時間を結構取られるので、それと仕事の時間とを、私の場合には仕事のほうの議会がものすごく忙しい期間とそうじゃない期間っていうのがあるので、ここは仕事に集中しようとか、あとここはもっと今こないだまで子どもと遊べてなかったから子ども中心で息子がやりたいことをやろうとか、そういうメリハリをつけた子育てとワークライフバランスといいますか、そういったものをできたらいいなというふうに思ってます。

中山:女性が政治家になるときに男性パートナーから反対をされるっていうケース、よく聞くんですけど、りささんの場合はどうだったんですか。

神尾:うちの場合は、私その選挙に出ようって思ったときに、3回ぐらいもう明日で諦めようかなって思った瞬間があったんですけども、その都度主人が背中を押してくれて、やれるよって言ってくれたので、またやっぱ頑張ろうかなって思えた。で、今があるっていう感じなので、すごく恵まれてるなというふうに思います。

中山:なるほど。やっぱりその一緒に海外で生活をしてきて、旦那さんも日本のこういうライフスタイルが海外のようにってあれですけど、過ごしやすいようにっていうところに賛同してくれてるっていうことですかね。

神尾:そうですね。やっぱりグローバルな環境にいた人なので、そういう意味では男性はこうあるべき、女性はこうあるべきみたいなものはそんなにないのかもしれないですし、あとはでもやっぱり個人としてお互いを尊重し合えるからパートナーでいるっていう、それはあんまり性別とか相手にこうしなきゃいけないみたいなものを押し付けるっていうのは違うんじゃないかなっていうふうに、多分そういう意識を共有できてる感じなのかなと、その話はしたことないですけども、そう思ってます。

中山:いや、重要なことだと思いますし、その夫婦間だけではなくって、それぞれが尊重できる世の中であるっていうのが一番幸せな世の中かなって思います。

神尾:そうですね。

政治家としての女性活躍の場

中山:日本の男女格差が116位っていうのは有名な話、優秀じゃないのはわかってるんですけど、政治家の世界ってどうなんですか。

神尾:政治家もまだまだで、今、国会議員で15.何%だと思うんですけど、世界では133位ぐらいなんですよね。まだまだですけど、今ちょっと増えている傾向にはあると思いますけれども、でも一方で、教育でいうと日本って格差が1位。1位ってことは格差がほとんどないっていう国で、だからそこの教育までは格差がなくていくのに、社会に出た途端に格差が出るっていう。でもそれって可能性でもあるなと思っていて、教育をしっかり受けている女性が多いっていうことだと思うので、今ちょっと息子の学校のPTA活動もしてるんですけど、本当にすごいお母さんいっぱいいて、日々学ばせてもらってるなって思うんですけど。だからその方々と一緒にこの社会をもうちょっと変えていけるんじゃないかなっていう感じがします。可能性を感じます。

中山:私もチアリングスクールを運営してるので、お母様方とお会いする機会ってたくさんあるんですけど、本当に尊敬しかないんですよね。

神尾:うん。本当に。

中山:素晴らしい方が多くって。ただその社会を仕切っていくとかリーダーになっていくっていうところになると、女性が少ないなっていうのがちょっと残念な感じがするんですけど。

神尾:そうですね。

中山:例えばだから国会議員で欠席届を出すときに出産が理由ですっていう欄が、選択肢がないっていう状態が20年前にあったっていうふうに聞いてるんですけど、そういうところから変えていくっていうことが必要なんじゃないかなって思うんですけど、りささんは区議会議員として、何か変えていくとか、女性の活躍の場を作っていくとか、具体的になにかする計画とかありますか。

神尾:はい。世田谷区でも、ちょうど私が議員になってから、2年前ぐらいに、やっとその出産っていうのが理由になったんですよ、欠席の。だから本当に遅くて、でもなったっていうのが、じゃあ私たち子育て議員にどう実際影響するの?っていうのは、まだこの先だと思うんですけど、でも今現役で子育てをしている私たちがどういう生き方を選ぶかっていうのがすごく大事だなと思っていて、その生き方が100人あったら100通りあっていいっていう、そこにもうちょっとエネルギーを費やせるような社会になるといいなと思いますね。

中山:なるほど。だから女性、女の子たちが夢見る中の一つが区議会議員だったり、政治家だったりっていう、そのカテゴリーがもっと増えればいいかなってことですよね。

神尾:そうですね。本当に子どもの憧れの職業にしたいなと思ったのが、政治家になったきっかけの一つでもあるので、もっと頑張りたいなと思ってます。

中山:なるほど。私も経営者としてとか、スクールの校長っていう名前でやってるんですけど、校長として一つみんなが夢見る、経営者になりたいとかリーダーになりたいとか、そういうふうに思ってくれたらいいなっていうふうに思うと、すごいいろいろ頑張っていかなきゃって思うしモチベーションになりますよね。

神尾:そうですね。あとはやっぱり私たちが楽しむっていうのがやっぱり一番大事だなと思うので、楽しんで生きていきたいなって。

中山:楽しくないリーダーにはちょっとなりたいと思わないよね。

神尾:いや、本当に。ええ。そうですね。いきいきしてたいなと思いますね。

中山:そうですね。

ワシントンD.C. 全米最大規模の桜祭り

中山:実は私たち、桜祭りに6年ほど参加をしてるんですけど、実は桜祭りを通して出会った部分もあるじゃないですか。桜祭りがあるってことを知ったのは、実は私、渡米をして2年目ぐらいに知ったっていうのがあって、1912年に日本からアメリカに平和な証として、平和な証でいいんですか。友情?

神尾:そうですね。友好ですね。両国の友好をシンボルっていう感じです。

中山:その友好のシンボルとして贈られた桜が3000本咲いてるっていうね。

神尾:今、原木はそんな残ってないですけど、当時はそのぐらい。で、増やしていきました。

中山:そうですよね。私、2004年にチアリーダー3年目のときにパレードでアンティークカーに乗って手を振ってパレードに参加をしたっていうのがきっかけで、実は日本から送られてきた桜なんだっていうのを、恥ずかしながら2年目3年目で知ることになったんですけれども、りささんはどうやってその桜祭りというか、桜祭り自体と桜が咲いてるのは日本から送られてきたものだったっていうのを知ったんですか。

神尾:私はワシントンD.C.の日米協会というところに勤めだしてから、そこが桜祭りのお祭りを主催している一つの団体でもあったので、そこで初めてその歴史だとか1912年の当時にどうやって桜が送られたのかとか、そういう…。

中山:…世田谷区にあるんですよね。

神尾:そうなんですよ。原木がまだ残っていて、多分最後の1本なんですけど、世田谷区の都立園芸高校っていうところの敷地内に、当時2本送られてもう1本は駄目になってしまって、最後の1本が残ってるっていう状態。まだ花を咲かせます。

中山:なるほど。花を咲かせてるってことは多分意味があると思うんですけど。

神尾:そうですね。

中山:これをワシントンD.C.で見るような、わー素晴らしいっていう光景にするために植樹活動をされているというふうに聞いてるんですけど。

神尾:そうですね。園芸高校の生徒さんたちが同じDNAを樹を何本も増やされていて、それをいろんなところに贈って日米の友好の証ということで育てられています。

中山:100年は経ってしまったんですけれども、私たちも100年後であってもお返しでいただいたハナミズキは咲かせていきたいですよね。

神尾:そうですね。なんかシンボルとしてすごくやっぱり愛着を持てるなっていうふうに思います。

中山:最高の贈り物。

神尾:はい。

中山:りささんがハナミズキを広めるために植樹に協力をしたりとかっていうのは知ってるんですけど、私も実は樹と樹の友好もなんですけど、その場に生きる子どもたちをつなげるっていう活動として、桜祭りで日本のお子様とアメリカ人のお子様がビデオでダンスを学んでパレードに出場するっていう、そういう企画をしてるんですけど、それに参加をしてから、今まで6回参加していて、コロナではいけなかったんですけど、そこでなんか初めてアメリカの子どもたちもこういうヒストリーがあるんだっていうのを学んでくれたりとか、だから友だちもフレンドシップも樹と樹ではなくって、あなたたちもずっと永遠に続けてくんですよっていうことを学んでもらってるんですね。この経験を通して、子どもたちが言葉が違うとかそういうことを壁にしないで、フレンドシップはダンスでとか心でつながれるんだっていうふうに経験してもらえばなっていうふうに思ってます。

神尾:はい。

中山:で、夢があるんですけど、今、立川にある養護施設、至誠学園っていうんですけど、ダンスの練習をしてるんです。チア部を作っていて、そこで桜祭りに参加させたいなっていう思いでやってるんですけど、みんなも一生懸命練習をしていて、いずれかは、できれば来年連れていきたいなっていうふうに思ってます。りささんも私も高いハードルを情熱があったら超えてきたっていう経験をしてますから、そういうのを子どもたちにも思いを持ってやって活動してほしいなっていうふうに思ってます。

神尾:そうですね。まずはなんかこうやりたいなって思うところから何でも始まると思うので。

中山:そうですね。

私たちの約束と志
Our Commitment!

中山:チア道ではコミットメントを最後に皆さんに聞いてるんですけど、りささんは何をコミットしていただけますか。

神尾:私はやっぱり政治の世界にいて、若者とか次世代の子どもたちがこの社会を今度担っていく人たちなので、その人たちに自分が精いっぱい頑張ることでバトンを受け渡したいなというふうに思ってますので、そういった世代の人たちともっとつながっていくことをコミットメントしたいと思います。

中山:私からのコミットメントは、りささんの活動を見て、すごい行動的に世田谷区をまわっていたりとか、世田谷区に限らず目黒区に行ったり千代田区に行ったり、いろいろなところに行かれてるのを見て、私もアメリカに連れていくっていうの、もちろんグローバルを体験させるっていうのはすごくいいことだと思うんですけども、ちょっとこうローカル、日本にも目を向けて、今、行動してないわけじゃないですけれども、ローカルに向けた活動だったり行動にフォーカスをするっていうことも考えたいなっていうふうに思いました。
第2回目のチア道は世田谷区議会議員の神尾りささんにお越しいただきました。ありがとうございました。

神尾:ありがとうございました。