【巣鴨・大塚のシェアコミュニティ Ryozan Park オーナー ⽵沢徳剛さん×中山麻紀子 対談動画】シェアコミュニティと多様性について

チア道 WeForYou 3 回⽬のゲストは、半径 5 メートルの多様性からみんなの「やりたい」を実現するプロデューサーでシェアコミュニティ Ryozan Park オーナーの⽵沢徳剛さんです。

⽵沢さんは普段から「徳くん」「マキちゃん」と呼び合っている 10 年来の友⼈です。

その徳君との出会いは2011年、ワシントン DC でのこと。私がレッドスキンズの OG として、シーズンゲームのハーフタイムショーでパフォーマンスをしていた時のこと。当時ワシントン DC の新聞社でインターンをしていた徳くんが取材をしてくれたのがきっかけでした。

私が起業をしてオフィスを探していた時に、徳くんに連絡したところ、「うちに来れば」とのご提案をいただき、東京でもご縁がつながりました。

テーマは Life is better sheared

巣鴨と⼤塚を拠点とする Ryozan Park はシェアオフィス、シェアハウス、プリスクール、シェアキッチンなどのイベントスペースを備えたコミュニティです。

巣鴨⽣まれ巣鴨育ちの徳君。東⽇本⼤震災直後に帰国し、借りていたシェアオフィスとハウスが空きビルになってしまったことが、Ryozan Park を始めるきっかけでした。

どんなバックグラウンド、どんな国籍の⼈間でも⽇本でチャレンジしたいと思う⼈たちと、⼤きな家族のように暮らしていくようなコミュニティを作りたいと思ったそうです。

Ryozan Park の名前の由来はどこから来ているのでしょうか

「それは中国の古典、伝奇⼩説の『⽔滸伝』というのがあって、それは腐敗した中国の物語なんだけれども、梁⼭泊という天然の要塞に集まった108⼈の豪傑たちがここで集まって、志のある若者たち、豪傑たちが集まって、そして、反⾰命勢⼒みたいな、そういう⾰命勢⼒を作っていって中国政府と戦っていって、国をよくしていったというストーリーがあって、それが僕、⼦どものときから⼤好きで、その名前からとったRyozan Park というふうにしました。実際に、とってもだから、そこに集まってくる⼈たちはとってもユニークな⼈たちで、⾃分の夢を追いかけている起業家たちであったり、もちろん企業で働いていても何か⾃分の夢にチャレンジする⼈たちを中⼼に集まって⼊ってもらって、切磋琢磨しあってるという状況なんですよね」(徳くん)

Ryozan Park ではキッチンもあり、いつもさまざまなイベントが⾏われています。私もオフィスをここに構えていますが、⼈との多くの出会いがあります。今や、Ryozan Park で暮らしたことがあるのは 100 ⼈以上、コミュニティ全体だと 23000 ⼈がかかわっています。そして最も驚いたのは、シェアハウス内で結婚したカップルが20組以上いて、30⼈以上⼦どもが⽣まれているということです。

「⼦どもたちが、僕⾃⾝の⼦どもが⽣まれるというふうな、今から7〜8年ぐらい前のときに、ちょうど豊島区が消滅可能性都市と⾔われて、・・・そのときに僕たちも⼦ども⽣まれるし、『でも⼦育てするのと仕事をするの、両⽴したいよね。でも⼦どもが初めて⽴ち上がる姿とか、⼦どもが初めてしゃべる⾔葉なんかも⺟親としても⽗親としても聞き逃したくないよね』というのがあって、仕事場と託児所を⼀緒にしたいなという話になったんです」(徳くん)

住⺠のライフスタイルによって、ニーズも変わってくる。Ryozan Park は住⼈のニーズによって変化をし続けています。来年の1⽉にはファミリー向けの70平⽶ぐらいの賃貸マンションのオープンを⽬指しているそうです。

「シェアハウスは、ワンルームに住んで共有のキッチンをシェアしてるけど、今度、⼤塚に建てている建物は DINKs やファミリーとかが各フロアに⼊居して、みんなで『じゃあ今⽇うちにご飯⾷べにきなよ』とか、『⼦ども⾯倒⾒ててあげるわよ』とか、『屋上菜園で野菜を収穫したからハーベストフェスティバルやろうよ』とかというようなコミュニティを⽬指しています。

2階と3階には環境農業問題にチャレンジするシェアオフィスを作って、いろんな起業家たちや、シングルマザー。DINKs のカップル、もしくはシングルといったいろいろなライフスタイルや多世代の多様な⼈たちがその建物に住んで、⼩さなコミュニティを作りたい」(徳君)

半径 5 メートルからの多様性

Ryozan Park のある巣鴨と⼤塚は、実に多様性にあふれる街です。巣鴨にはとげぬき地蔵が、⼤塚には韓国料理など多くの多国籍料理がひしめき合い、マスジドとよばれるイスラム教の礼拝所まであります。

今⽇本では多様性という⾔葉がよく使われていますが、多様性を認め合うことは⽇本⼈にとって頭で分かっていても、実際はどうしたらいいのか分からないという⼈もいるのではないでしょうか。

まずは、半径 5 メートルの中で多様性の⾊合いを強めるのが⼤切だと徳君は⾔います。

そんなことを考えるきっかけの⼀つに、マスジド⼤塚のアキルさんという⽅パキスタン出⾝の⽅出会がありました。「アキルさんと話をしていって僕がすごく感動したのは、『やっぱり難しい話をしていても駄⽬。同じ釜の飯を⾷うということが最も違う⼈たちも仲良くなっていくんだ』というアキルさんの⾔葉。すごくそれに感動して、いや、『本当その通りだよな』と思った。

彼らはイスラムだからハラール⾷材じゃないと⾷べられない。お酒も飲めない。だから⽇本の宴席みたいなところには、なかなか来れない。だから⾃分たちがハラールの⾷材で作ったチャーハンのようなビリヤリをみんなで提供して、地域の⼈たちにも来てもらって、⾷べたいということをやると。それを⽉に 1 回ベースで今やってる。

地元の⼈たちや Ryozan Park の仲間たちが集まっているんだけど、そういう⾃分のコミュニティとか近所に全然違う国籍や⽂化の⼈たちが、宗教の⼈たちも違うけど、すれ違うのではなくて、⼀緒の釜の飯を⾷えば、「よう」って⾔って挨拶し合うようになってるじゃない。道で会うと「元気」という話にもなっていくじゃない。

そういうきっかけを作っていくことが、半径5メートル内にいろんなところで作っていくことが、なんか多様性のある社会になっていくんじゃないかなというふうに思っている」 (徳君)

エンプティボックス⾃分は夢を⾷う獏

Ryozan Park は何かに打ち込む情熱を持った⼈たちが集まり、コミュニティを良くしていく、そんな場所だと1 メンバーとして私も⽇々感じています。

徳君は、コミュニティメンバーの意思形成をしながら、想いを形にしていくプロデューサーでもあると思います。

「みんなのやりたいことや夢を僕の体の中に⼊れて、『⾃分もこれやりたいから、やるぞ』という感じでやっています。だから⾃分は空っぽでいたいと思う。エンプティのボックスでありたくて、やりたい⼈たちの話を聞いて、それを僕が夢を⾷うバクのように⾷って、⾃分がいつの間にか⾃分化させてしまうわけ。

とにかく何かやりたいという⼈たちをどんどん僕は増やしていくことが夢であるし、素晴らしい世界であると思っていて・・・今、最近嬉しいのは Ryozan Park OBOG が和歌⼭や岐⾩、⼤分に⾏ってシェアコミュニティみたいなものを作っているのね。

そういう⼈たちがどんどん増えてきて、地⽅に⾏っても⾃分たちの半径5メートルをすごく⼤切にして多様性のある、そして開いてるようで閉じていて、閉じているようで開いているコミュニティを⽇本中で 100 個くらい作っていけば、もうすごい⾯⽩い社会になっていくんじゃないかなと思う」(徳君)

私たちのコミットメントについて

徳君半径5メートルを5メートル50センチ、6メートル少しずつ⼤きくしていきたい。

マキコミュニティを広げて応援の輪を広げたい。

私も徳君同様、⽇々⼦どもたちや周りの社員から元気をもらっていますし、彼らの想いを実現していくことに⾮常にパワーを感じています。同じ志を持っているから、⻑い間友⼈として切磋琢磨できているのかなとも感じています。

そして、今回対談してみて徳君のコミュティづくりはとてもチアリーダー的だと思いました。

何かアイデアが出たときに、いねって気持ちを「Cheering=応援」する、それが Ryozan Park であり徳君です。

私たちは⾃発的に何かをやりたいってことを⾒つけることが⼤切だと⼦どもたちに話しています。

「これをやりなさい、これをやるべきだから」という⽣き⽅ではなくて、「これがやりたいから私たちも頑張るんだ、そんな仲間を応援しよう」という気持ちを⾝に着けて欲しいという気持ちから、これまでチアリングスクールをやって来ました。

そんなコミュニティを徳くんと⼀緒に広げていかれたらいいなと思いました。


Ryozan Park(巣鴨・大塚)について

https://www.ryozanpark.com/

「働く」「学ぶ」「暮らす」「育てる」の新しい形を提案する、都内唯一のコミュニティ。Ryozan Parkは、オフィス、レジデンス、スクールを三つの柱とし、より豊かな人生はシェアからはじまる、という哲学をもとに、人々の温もりとエネルギーが交差する共同体として生まれました。

竹沢徳剛さん 経歴・プロフィール

1981年豊島区生まれ 中央大学法学部卒業後、米国ワシントンD.C.のアメリカン大学大学院で国際法を学ぶ。銀座線の通勤に耐え難く、某商社を3日で飛び出し、逃げ戻った米国で日系人向けローカル新聞の記者として拾ってもらい、捨て目で過ごす。東日本大震災をきっかけに「新しい共同体」の必要性を感じ帰国。2012年シェアハウス・シェアオフィス 「RYOZANPARK巣鴨」、2014年託児所付きシェアオフィス 「RYOZAN PARK大塚」を開設。ギャラリー、カフェなども付随させ、巣鴨・大塚エリアで東京の「村づくり」を目指したコミュニティを作っている。2019年在日英国商工会議所起業家賞受賞。


シェアハウス入居前の面接について

中山:こんにちは。元NFLチアリーダーでチアリングインターナショナル代表の中山麻紀子です。チア道へようこそ。この番組では、英語教育や留学、エンパワーメント、グローバルリーダーシップや、日本を世界に発信するということをテーマに、様々なゲストをお迎えしています。本日のゲストはRYOZAN PARKの竹沢徳剛さんにお越しいただきました。本日はお越しいただきありがとうございます

竹沢:ありがとうございます

中山:まずは自己紹介をしていただきたいと思います

竹沢:今日は呼んでいただいてありがとうございます。RYOZAN PARK代表の竹沢徳剛です。麻紀ちゃんとは14~5年ぐらい前にワシントンD.C.でお目にかかって、こんな素敵なお姉様がアメリカで頑張ってらっしゃるんだというのを、とっても、20代のガキからしてみれば感動しておりました

中山:そうでしたか。実は出会いは、私がワシントンD.C.でオージーとしてハーフタイムショーに出たときに取材をしてくださった。当時はインターンで取材して…

竹沢:いや、当時、現地の日系コミュニティの新聞で働いていて、それで取材をさせてもらったんですけどね

中山:当時はまだ若い新人記者みたいな感じでしたよね

竹沢:海の者とも山の者ともわからない、こんなどうしようもないやつだったんですけど。自己紹介をさせていただくと、僕は東京で村を作るというコンセプトで、巣鴨と大塚という、ちょっと山手線のマイナーな駅のエリアで、シェアハウスやシェアオフィス、あとは大塚でインターナショナルプリスクール、託児所付きのオフィスを作ったり、あとはギャラリーがあったり、シェアキッチンがあったりという、そのlife is better sharesという、人生いろんなものをシェアしていったほうが楽しくなるよね、よくなっていくよねというようなコンセプトでコミュニティを作っています

中山:マイナーって言ったんですけど、巣鴨と大塚、確かに山手線内ではマイナーなところかもしれないんですけど、そこを選んだ理由というのはあるんですか

竹沢:それはもう選ぶ、選ばないというか、もう選択肢がなくてというか。僕自身が巣鴨生まれ巣鴨育ちで、曽祖父の代から建材屋さんをやっていて、レンガとかセメントとかを置いていた土地にビルを建てたりマンションを建てるようにもなったことがあって、東北の震災のときに僕はアメリカから日本に帰ってきて、そのシェアハウス、シェアオフィスをビルを借りたんだけど、そこは僕自身が住んでいたこの建物でもあるんだけど、大学生まで住んでいた建物で、それが空きビルになってしまったところを改装して、多様性のあるコミュニティを作っていこう。どんなバックボーンの人間、どんな国籍の人間でも日本でチャレンジしたいと思う人たちをウェルカムして、大きな家族のように暮らしていくような、そういう建物にしようという話になって始めたのがきっかけですね

中山:なるほど。10年以上の付き合いなんで、徳くんって呼ばせていただきますが、その立ち上げ当時に、私たちの会社も実はここのRYOZAN PARKをお借りしてるんですけど、RYOZAN PARKというものは、どうやってこの名前というのはついてきたんですかね

竹沢:それは中国の古典、伝奇小説の『水滸伝』というのがあって、それは腐敗した中国の物語なんだけれども、梁山泊という天然の要塞に集まった108人の豪傑たちがここで集まって、志のある若者たち、豪傑たちが集まって、そして、反革命勢力みたいな、そういう革命勢力を作っていって中国政府と戦っていって、国をよくしていったというストーリーがあって、それが僕、子どものときから大好きで、その名前からとったRYOZAN PARKというふうにしました。実際に、とってもだから、そこに集まってくる人たちはとってもユニークな人たちで、自分の夢を追いかけている起業家たちであったり、もちろん企業で働いていても何か自分の夢にチャレンジする人たちを中心に集まって入ってもらって、切磋琢磨しあってるという状況なんですよね

中山:私も長い付き合いなのでそこは把握しながらRYOZAN PARKに入れてもらったんですけど、ここに入るのも面接があるんですよね。志があるかないかどうか

竹沢:シェアハウスのところは、ここがシャワーでここがなんとかでとかって説明。「ところで、なんかやりたいことなんかあるんですか」とか、「夢は何なんですか」というようなことを聞いて、それでそれに対して「うーん」とかっていう人とかは、もうちょっと僕も引き出してあげたいなと思って聞くけど、目見て話さないとか、ちょっとこの人違うんじゃないかとか、ただただ住みたいだけじゃないか、部屋求めてるだけじゃないかっていうと、ちょっと違うんじゃないかなと思っちゃって、「すいません、ちょっと部屋空いてないです」って、「えー」みたいな、なんかこう、途中言われるんだけど。でもやっぱり、だから僕はせっかくこのコミュニティに入ってもらって、この建物、ひとつ屋根の下で暮らすようになっていくんだったら、一緒に酒を酌み交わして、つらいときも楽しいときもみんなでいろんなことをシェアできるような、そういうお客さんを超えた仲間になっていってもらえるような人たちに入ってもらいたいかなと思って、そういうことをあえて聞いてはいるんだけどね

中山:元々のRYOZAN PARKって、108人ってさっき言ってたんですけど、108人以上もういますよね、卒業生とか考えると

竹沢:そうなんですよ。おかげさまで、多分

中山:この間も偶然会ったりしましたよ

竹沢:OGに?

中山:「昔RYOZAN PARKにいたんですよ」という方にお会いしたり

竹沢:本当。OBOG含めればもう2~3000人ぐらいのコミュニティには、今なってきているし

中山:いや、さすがに志で選んでる住民の方々だったり、オフィスにいる方々だから、会っててもすごく話が楽しかったりとか、本当にいいコミュニティですよね

竹沢:めちゃめちゃ嬉しいです、それは。シェアハウスが一番最初に力を入れて作ったところだったんで。シェアハウス内で結婚したカップルが20組以上いて、30人以上子どもが生まれて、それで子どもたちが、僕自身の子どもが生まれるというふうな、今から7~8年ぐらい前のときに、ちょうど豊島区が消滅可能性都市と言われて、東京都心にある区なのにこのままだと女性の数がすごく少なくなるというようなところで、日本創成会議から名指しで豊島区が消滅可能性都市と言われたりとか、あとは日本全体でも「保育園落ちた日本死ね」みたいなことを言う母親たちの、ある意味、立ち上がっていったりとかっていう、行政とか国に頼っていちゃ子育てという環境もなかなか整わないというような、そういったときだったんですね、8年ぐらい前が。

そのときに僕たちも子ども生まれるし、シェアハウスのメンバーたちも結婚するカップルがいくつか出てきて、みんなだったらどんな環境で子育てをしたい?でも子育てするのと仕事をするの、すごく両立したいよね。でも子どもが初めて立ち上がる姿とか、子どもが初めてしゃべる言葉なんかも母親としても父親としても聞き逃したくないよねというのがあって、仕事場と託児所を一緒にして、そういう建物を作っちゃおうじゃないかというふうな話になって、託児所付きのシェアオフィスを、多分日本で初めてそれを作ったところがあったりしてという感じで、僕自身がやりたいことということよりも、ここに集まってきた仲間たちが、みんな何かやりたいことを自噴させるコミュニティになってきて、そのコミュニティでみんなでこういうことやっていこうぜということをみんなでシェアして、自分たちのほしい生活を自分たちの手で作っていくというようなことができつつあるのがRYOZAN PARKの今の特徴かなという

中山:できつつある?

竹沢:できつつある

中山:でも結構目に見えて成功してる部分ってありますよね

竹沢:おかげさまで。それは目に見えてはあるかもしれないけど、なんか答えがコミュニティに完成系は絶対ないと思ってるんですよ。完成したらそこで、やっぱりなんか空気が滞ってしまうし、入ってる人たちもそこで固定化されてしまうし、僕の中で求めてるコミュニティとか共同体というものは、開いているようで閉じている、閉じているようで開いている、そういう少し風通しのある完結しきれない、完成しきれない、そういう流動体的な、アメーバ的な、イソギンチャク的な、そんなコミュニティを求めているから、答えがないのが正解だと思って

中山:無限大ってことですかね

竹沢:そうかもしれない。無限大かもしれない。それを僕自身も成長すれば成長するにしたがって、ほしいものが変わってくると思うんですよね。託児所付きというのは2~3歳の子どもたちを身近なところで育てたいだったけど、今は小学生をもっと充実させようといって、今、託児所付きのシェアオフィスのところは、仲間たちがNPOにしてそれを運営してたりもするんだけども、ゆりかごから墓場までという言葉がイギリスの政策であるみたいに、そういう、自分たちが成長すれば成長するにしたがって、ほしいものをみんなで一緒に作ってシェアしていけるようなものができたらいいなと思っています。

だから来年の1月にはファミリー向けと言ってはなんだけど、70平米ぐらいの賃貸マンションなんだけど、それは小さな子どもがいる夫婦だってできるし、シングルマザーとかもそうだけど、シェアハウスは大体ワンルームに住んで共有のキッチンをシェアしてるけど、今度、大塚に建てている建物はDINKsとかファミリーとかが各フロアに入居して、隣3軒両隣を縦になんかして、みんなでじゃあ今日うちにご飯食べにきなよとか、子ども面倒見ててあげるわよとか、屋上菜園でみんなで野菜を収穫したからハーベストフェスティバルやろうよとかというような建物を今作ってたりして、2階と3階には環境農業問題にチャレンジするシェアオフィスを作ってという、その建物の中にいろんな起業家たちだったり、シングルマザーだったり、DINKsのカップルだったり、もしくはシングルもそうかもしれないけど、そういういろんな多世代というか多様な人たちがその建物に住んで、小さなコミュニティを作っていく建物を今作ってる最中だったりするんですけど

【多様性を広げるために工夫していること】

中山:なるほど。今、新しい建物は、徳くんの新しい建物、大塚にできるものは多様性という、多様性のある建物になるというふうに言ったんだけれども、その多様性を広げるために、何か工夫してることとかってありますか

竹沢:一足飛びに多様性を受け入れる社会というふうに目的を定めるのはすごいチャレンジングだと思ってるから、半径5メートルの間の中の多様性の色合いを高めようとしているところはあって、最近一つの面白いことが行われてるんだけど、大塚にイスラムのコミュニティがあるのね。イスラムの寺院があったりとか、イスラム系の子どもたちが通うインターナショナルスクールがあって、それは一つにはやっぱりキールさんという、今、80歳ぐらいのパキスタン出身の方が大塚にもう60年間ぐらい住んで、一生懸命、地道に活動されてきたから、そういうイスラムのコミュニティができてるわけ。

でもそのキールさんはつい最近、地元の区議会議員に相談をして、僕たちはこういう活動を、イスラムのコミュニティが日本でこういうふうに大きくすることはできたんだけども、やっぱり自分たちの住んでる地元の人たちのことはあんまり知らない。もっと彼ら地元の人たちと仲良くなっていきたいと思っているんだというふうなことを言って、それで食事会みたいなことをやりたいんだというふうに地元の区議会議員さんに相談したところ、地元の区議会議員さんは、それだったら大塚にRYOZAN PARK大塚というのをやっているシェアオフィス、シェアハウスのオーナーの竹沢というのがいるよ、まずは彼に会ってみたら?といって紹介してもらったわけ。

そのキールさんと話をしていって僕がすごく感動したのは、やっぱり難しい話をしていても駄目だと。同じ釜の飯を食うということが最も違う人たちも仲良くなっていくんだということをアッラーから教えてもらったんだって、そのキールさんは言うわけ。すごくそれに関して結構感動して、いや、本当その通りだよなと思った。彼らはイスラムだからハラール食材じゃないと食べられない。お酒も飲めない。だから日本のお祭りのときの宴席みたいなところとか直会みたいなところにはなかなか来れない。だから自分たちがハラールの食材で作ったチャーハンのようなビリヤリみたいなものをみんなで提供して、地域の人たちにも来てもらって、食べたいということをやると。それを月に1回ベースで今やってるわけ。

地元の人たちやRYOZAN PARKの仲間たちが集まっているんだけど、そういう自分のコミュニティとか近所に全然違う国籍や文化の人たちが、宗教の人たちも違うけど、すれ違うだけじゃん。でもそうやって一緒の釜の飯を食えば、「よう」って言って挨拶し合うようになってるじゃない。道で会うと「元気?」という話にもなっていくじゃない。そういうきっかけを作っていくことが、半径5メートル内にいろんなところで作っていくことが、なんか多様性のある社会になっていくんじゃないかなというふうに思っている。

RYOZAN PARKは身近なところにある、ちょっとマイノリティな扱いをされてしまっているような人たちを大切にすることによって、マジョリティとマイノリティって言い方もあんまり好きじゃないけれども、そういう外国人であったりとか、あと大塚のシェアオフィスは女性の起業家たち、母親の起業家たちを応援するというところじゃない。それも彼らはどっちかって言ったら、ガリガリ、ガツガツ働く男の起業家たちよりは、どっちかって言ったらマイノリティ的な存在じゃない。そういう女性の起業家たちが中心にされてる。日本に住んでる外国人たちが一つの中心になっているということに、彼らにウエイトを置くことで、彼らが一つの中心になっていくから、ということが、僕はなんかコミュニティづくりでは大切じゃないのかなと思っている。

それって、昔からお祭りのときには、ハレとケのときに、ちょっと異質な人たちがお祭りのところに入ってくることによってお祭りがすごく活性化する。今、お祭りのときに異質な人たちは、普段のお祭り以外のところではちょっとマイノリティ扱いされてしまっている人たちのほうが、歌舞伎の世界、河原者とか昔は言われたりしたじゃない。それとか、ドサ周りの芸能、そういう人たちも、どっちかって言ったら流浪的な感じじゃない。ちょっとそれと文脈と、その外国人と、違うんだけど、そういうものも僕の頭の知識、ちょっと本で読んだりしたというところで、ちょっとマイノリティ扱いをされてる人たちにスポットライトが当たることによって、僕たちの価値観が変わってくるというところは、多様性への一つの何か…

中山:受け入れに変わったりとかね

竹沢:そうそう。手段になるんじゃないのかなと思っているところ

中山:なるほど。東京というところにいるから、違う言語だったり違う人種だったりという人たちに会う機会が多い。宗教もね。というのもありますが、じゃあ、それが全くない地域。例えば地方だったりとか日本人しかいないという人たちに対して、多様性を受け入れてもらうように何かできる行動とか活動とかって、アイデア、あったりしますか

竹沢:でも、日本人といってもいっぱいいろんな日本人がいると思うのね。だからそういう中で、でもわかりやすのは、例えばアーティスト、音楽家、シェフ。そういうクリエイティブな人たちがコミュニティを僕は活性化してくれると思ってる。やっぱりアートの力とかっていうものって、やっぱり何か驚きであったりショックなものを見るじゃない。美しいものだけじゃなくて、なにこれ?という、その根源的な驚きってすごくコミュニティをみんなをつなぎ、様々なバックグラウンドの人たちもつなげてくれるような感覚になるんじゃないのかなと思う。あと音楽家もそうだと思うよね。ロックみたいなものが、フェスが行ったらなんとなくみんな仲良くなるような感覚するじゃない。だから地方こそもっとアートとか音楽とかそういうものを使って、多様性というか、なんか…

中山:でも日本人同士だって意見が違う人たちの受け入れは多様性と言えると思うので、そのへんとかもアートを使ったり音楽を使ったりとか、食を使ったりというのは、ワークするかもしれないですよね

竹沢:そう。と思うんだよね


【ポジティブマインドな社会を作っていく】

竹沢:…話をまた初めて、それでまたなんか、お前まだ大塚住んでんの?とかっていうみたいな感じになっていくことが、少しずつ多様性のある社会に近付いてるんじゃないかなって思ったりするんだよね

中山:なるほどね。本当に子どものときの経験ってすごく重要で、私たちも一つ、今、メンタルヘルス、結構あるじゃない。それに勝てるように、自分で楽しくなるというのを練習するような感じのところもあるわけよ、チアを通して。その子どもたちでケンカしたよねって覚えてなくても、なんとなくこの人となんか心通じ合ったよねみたいなそんな感覚でいいんだよね。多分、子どもたちってね

竹沢:そうなの。やっぱり通じ合わせるためにはお互いどこかでぶつかり合ったりとかしない限り、今の時代、全部問題が起きないように、除菌、プラスチックの衝立しちゃう社会じゃない。そういうのを取っ払って、もっとごちゃごちゃになってもいいし、簡素な状況になってもいいということを、みんなが構成員たちもそれでいこうよというふうにしないと駄目な気がするんだよね

中山:そのコミュニティ内だったね。だからうまくやってるなと思ったのが、絶対建物内だったりとかっていうのが問題が起きるじゃない。それが起きてない。うまくやってる

竹沢:問題が起きても起きることを災い転じて何とかとなすというじゃない。そういう感じで、マイナスの要素が起きたとしてもそれをみんなが仲良くする方向に持っていけるようなさ

中山:そう。それってポジティブマインドじゃん。それある人っている?そんなに世の中に

竹沢:俺の周りはポジティブマインドの人しか集めてないから

中山:そうだよね。わかってる。だから私もいるんだけど()

竹沢:ポジティブなマインドを社会に作っていくしかないと思う

中山:いや、そう思ってるよ

竹沢:余裕のある人間じゃないと他者に対する何かギブの姿勢って持てないもん、やっぱり

中山:でしょう。だからこれってでもチア道もそういうことなんだけど。でも余裕があるというのは、日本人で価値観で、例えばお金的な余裕もつながってるときもあるのよ。だけど、なくなったって心の余裕って作れるものでというところかなという気もするけどね

竹沢:それはね

中山:幸せ者って言われるじゃん、多分、恐らく

竹沢:めっちゃ幸せですよ、俺。めっちゃラッキーだと思ってる

中山:そうだね。自分の努力でそうなってるってこともちょっとわかるとさ

竹沢:俺は恵まれた環境で生まれることができたというのは認識してはいるから、だからこそシェアしようと思う。自分でおきっぱにして、うまい肉をゲットしたらみんなでシェアするぞということが、俺の一つの…


【RYOZAN PARKとして目指すもの】

中山:じゃあ、徳くんがこれからRYOZAN PARKとして目指すもの。または個人的に目指す夢ってなんですか

竹沢:難しい質問ですよね

中山:でもRYOZAN PARKの目指すものは先ほど言っていた

竹沢:そうそう。だから僕、みんなのやりたいことを僕自身がそれを、だから、彼らの夢は僕の体の中に入れて、そしてそれを、俺もこれやりたいんだって思うようになってこれやるぞということをしたい。なんか自分は空っぽでいたいと思う。エンプティのボックスでありたくて、シェアハウスとかシェアオフィスとかに使ってくれる人たち、うちのメンバーとしていっぱい入ってくるじゃん。彼らのやりたいことをいっぱい聞くじゃん。それ面白そうだな、やってみろよとかって言うわけじゃん。やるぞって話になって、背中に押すわけじゃん。それを僕が率先して楽しむというのがすごくいっぱいくり返されてるから、それが僕の今やりたいこと。自分があるようでないというのが僕のやりたいこと

中山:自分があるようでない。自分がないようであるんじゃないんですか、実はそれは

竹沢:自分がないようであるし、だから、さっき言ったように開いてるようで閉じている、閉じているようで開いているコミュニティと一緒で、自分というものも流動的であると思っているから、やりたい人たちの話を聞いて、それを僕が夢を食うバクのように食って、自分がいつの間にか自分化させてしまうわけ。それをやろうぜっていうのが僕のやりたいこと。それはRYOZAN PARKともやりたいことは密接してるけど、とにかくやりたいという人たちをどんどん僕は増やしていくことが夢であるし、素晴らしい世界であると思っていて、今、最近嬉しいのはRYOZAN PARKOBOGが和歌山や岐阜、大分に行ってシェアコミュニティみたいなものを作っているのね。そういう人たちがどんどん増えてきて、地方に行ってもそういう自分たちの半径5メートルをすごく大切にして多様性のある、そして開いてるようで閉じているコミュニティを、閉じているようで開いている、そういうコミュニティを日本中で作っていけば、100個ぐらいそういうのができれば、もうすごい面白い社会になっていくんじゃないかなと思う。その100個ぐらいのコミュニティがいっぱいいろんなところで、僕たちも遊びに行ったりとか、子ども同士がどこかの山間留学に行ったりとかというようなことが流動していけば、すごく面白い年を取れるんじゃないかと思ってるし、そんな感じかな

【私たちのコミットメントについて】

中山:なるほど。ありがとうございます。最後に、コミットメントをみんなに言ってもらう

竹沢:コミットメントってことは、自分が何かをしますというマニフェストみたい。何をするってこと?なんか約束?

中山:そう。例えば、約束。私は第1回目、1話では、HeForSheという活動をしているチュックだったので、男性に頼るということをしてみようかなって言ったの。逆に助けを求めるじゃないけど、女性だけじゃやっぱり解決できないことがあるからというコミットをしました。第2回目はThink Globally,Act Locallyで、もうちょっとローカルにフォーカスした活動をしますというコミットをしました

竹沢:すごい難しいんだけど、こういう、僕は

中山:流動的だからね

竹沢:そう。男も女もあんまり関係なくて、外国人とか何人とかも関係、あんまりないということが、僕の中の結構前提というか思ってて

中山:でも現実ってどうでしょう

竹沢:現実は、それは社会という社会の仕組みの中が、がんじがらめにして男と女の差を作ってしまっているところがあるけど、もっと根本的なところでは男も女もそんなに、生殖機能があるかないかというのはすごく違うのはそれはもちろんそうだけど、なんかそれは僕一人の人間としてというところでは、みんなお互いの個性というか人間性というか動物性というか、そういうものをアプリシエイトする、評価しあって、そういうのが僕の求めてるところがあるから。

それって、でもやっぱりなんかそれぞれ、僕がいつも言ってるのは、もっと日本人は野生を取り戻すべきだよって言ってるわけ。野生というのは、人間も動物の自然の一部じゃない。人間も動物じゃない。そのアニマルスピリッツ的な部分というものは都市の中で暮らしてるとどんどん失われていってると思うから、そういう野生の感覚、野生の魂を大きく増殖させていくことが必要じゃないかなと僕はいつも思う。うまく言えないんだけど、そういうことを僕は言い続けたいと思ってるし、野生の精神をみんなとシェアしていきたいなというのが僕のコミットメントかな。そうすることによって、何人とかあんまり関係ないんだよ。男も女もあんまり関係なくなるんだよ。人間としてなんか共鳴、共感しあって喜びあえるような、そういう社会になっていくんじゃないかなって

中山:そういう社会にしたい

竹沢:そう。社会にはならないからコミュニティでいいや、俺は()

中山:なるほど。半径5キロ以内

竹沢:そうそう。半径5メートルを5メートル50センチ、6メートル…そういう少しずつ大きくしていきたいよね

中山:それが徳くんのコミットメントで

竹沢:そういうことにしましょう。ありがとうございます。その質問で僕のコミットメントが出ました

中山:やっぱり一番最初に徳くんに電話したときって、私、不動産屋さんを港区で探してるって言って連絡したのよ。僕のところおいでよって、今ちょうどオープンするんだよって、そのきっかけとタイミング

竹沢:11年前

中山:11年前?

竹沢:そうだよね

中山:タイミングがあったということと、今までいっぱいオフィスを引っ越すタイミングがあったにも関わらず、ずっとここにいるということには意味があると思ってて、あと受け入れていただいてありがとうございますなんですけど。そこで学んだことというのはすごく大きいことだし、出会いもすごく、私は毎日一緒に暮らしていたわけではないけれども、出会う人たちというのはみんないい人たちだし、志があってっていう、その安心感というのをもう少し大切にしたいなというふうに思うし、私自身もコミュニティを持ちたいな、小さくてもいいから、というふうに思いました

竹沢:コミュニティ作ってらっしゃると思いますよ、しっかり。だってその最初に教えた子どもたちももう大学生以上になってるんじゃないの?

中山:そう。去年まで社員をしてた子もいるんだけど

竹沢:そうだよね。すごくない?セカンドジェネレーションになって、次にもしかしたらサードジェネレーションがチアリングインターナショナルで踊る可能性だってあるわけだよね

中山:そうですね。そうすると

竹沢:かっこいいじゃん

中山:RYOZAN PARKもね

竹沢:いや、そうだよね。嬉しい。そういうのが次世代へのバトンというか、次世代のために何かやってることってすごく重要だよね。自分たちの世代だけで楽しむんじゃなくてさ

中山:やっぱり私たちもコミュニティで何かアイデアが出たときに、これやりたいねって気持ちが起こさせるというのはちょっとチアリーダー的なんですけど、徳くんも。私たちも自発的に何かをやりたいってことを見つけるとか、これをやりなさい、これをやるべきだからという生き方ではなくて、これがやりたいから私たちも頑張るんだということを身に付けてほしいからというチアリングスクールなんで、そこは共通点だなというふうに思ったし、私たちはそんなに1週間に1回の習い事で子どもたちに経験させてあげることというのは限られてはいるけれども、もう続けてやっていくことがやっぱり成功への道かなというふうに思いました

竹沢:素晴らしい。チアリーディングが野生への道へとつながってるかもしれないね

中山:そうそう。チアリングね

竹沢:チアリングだもんね。素晴らしい

中山:今日はありがとうございました

竹沢:こちらこそ。楽しかったです。ありがとうございました