【誰のためのユニフォームか】アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)について
少し前からユニフォーム姿のアスリートの悪質な撮影行為について対して女性のアスリートたちが声を上げ始めました。
私も、性的なことを目的としたきわどい撮影や、写真の加工は絶対に許されるべきではないと考えています。
#METOO などの高まりを発端に、今女性たちが声を上げるようになってきました。
米国から帰国し「日本の女性はなぜ声をあげないんだろう」
そんな思いから起業した私にとっては、インスパイアされる社会的変化です!
このユニフォーム問題というのは、実はチアリーダーの世界でもたびたび取り上げられる問題です。
チアリーダーのオーディションでは、審査員がダンス(体の動き)をよく見えるように、そして、ユニフォームを着用した時の様子が想像されやすい様に、体の線が出ていて肌の露出もあるものを着用します。実際のチームユニフォームも肌の露出が多いものです。
でも私自身は、その格好をすることが嫌だと思ったことは一回もありませんでした。
むしろ「このユニフォームかっこいい!早く着たい!」と思っていました。
ユニフォームを着るのは、誰かのために着るのではありません。自分が「かっこいい」と思って着るユニフォームは、自信あるパフォーマンスにつながります。私にとってユニフォームは自信を与えてくれるファッションでした。しかも大好きな仲間達と一緒のユニフォームを着る事が誇りでした。
世間では、何を着るか、どういうルックスかで中身を判断されてしまうアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)があります。
日本はこの風潮が特に強いように感じます。
例えば、短いスカートや肌の露出の高い服装をした女性が痴漢などの被害に遭うと、自業自得と思われる節があります。
ジャーナリストの伊藤詩織さんが、レイプ被害を訴えた時の記者会見は、「胸元が大きくあいた」ブラウスを着ていたということで、一部バッシングがありました。(そもそも、あの格好のどこが「胸元が大きくあいた」にあたるのか私にはさっぱりわかりませんでしたが・・・)
もちろんTPOをわきまえた服装は前提です。
相手に対する思いやりのファッションという考え方もあるでしょう。
しかし、ファッションは自己表現です。
日本は「女性は、こういう格好をすべき」という社会的圧力が欧米に比べて非常に強いと感じます。家父長制度の日本においては、いまだ女性はobjectify (欲望の対象と見る)される対象であり、「女性が露出の高い服装をするのは男性のため」というアンコンシャスバイアス、そして隠れた前提があるのです。
そんな中、日本でも、女性のアスリートが声を上げたり、最近ではどんな性別でも着ることができるジェンダーレス水着というものが広まってくるなど、「自分のためのユニフォーム・ファッション」という選択肢がどんどん増えてきているのは、性別を問わずとてもエンパワリングなことだと思います!
さて米国はというと・・・。
一見進んでいると思われるNFLですが、不可解なことはありました。
それはまたの機会に!